今日は『発信』ついて思うこと。
声をあげる
かれこれコロナ騒動が始まってから半年近くたとうとしてる。
そしてその影響でこれまで政治に関心のなかった人たちも、少なからず国のリーダーの立ち振舞いを気にすることが多くなったのではないかと思う。
各国のリーダーの振る舞いがどうのこうのは置いといて、その立ち振舞い(政策やコロナの対策)について、中身を全部理解しないままいろんな人が、いろんな声をあげる。
うちのリーダーはあーでもない、こーでもない。外国のリーダーはすごいリーダーシップを発揮しているのに、日本はなんやねん!アベノマスクってゴロよすぎやんけ!と。
言いたいことを先に言うと、中身を100%知らない多くの人が声をあげるのはめちゃめちゃいいことだと思う。ということ。
中身を知らないから声をあげてはいけないは愚考
最近はツイッターとかがあるし、個人の声がマスの力を持つこともできる時代。
少し日本のことについて話をしてみると先の検察庁の件も、最初に目につくような声が上がったのは、芸人のせやろがいおじさんが発信したところからある会社員の女性が、それをきっかけにツイッターで声を上げたところだと思う。
せやろがいおじさんの発信力はとてつもないものがあると思うけど、一女性会社員のツイートがここまでバズるのは昔では考えられなかったこと。だって
ただの一会社員(一般人)なんだもの
彼女が発信したかった事は
『このままでは民主主義危ないやんけ』
ということ。
でもこれは詳しい解説を橋本徹さんがYouTubeで話している通り、世の中の認識のそれとは少し論点がずれているのだけど、でもこの声を上げるというのが何より大事なアクションだと思う。
橋本さんが中身を知らないまま直感で声を上げるのは何も悪いことではないと話している通り、政治の中身や様々な物事に対して徹底的に調べて、すべて知り尽くしたうえでなければ発言できないということになれば、もう誰も声をあげないのだ。
それこそまさに民主主義の崩壊。
そして世の中には、ちょっと知識を持っている人が『あーその話題ね』と『それについてしっかり調べた?』とそんな感じでマウント取りながら話をしてくるうんこみたいな連中もいるんだけど、その行為はまさに愚行。
もちろん様々な事象を話すうえで、事前知識や知っておかなければいけない情報はあるんだけど、それがないと議論してはいけないということにはならない。
もしその知識をもってして、それを共有した上でじゃーあなたはどういう意見ですか?
こういうコミュニケーション(発信)をしないとその時間すべてが無駄に終わる。
このマウント取って話をしてくる人は、世の中の一般市民のことを知らずに政治のことを偉そうに話している政治家と変わらないのだ。あたかも自分たちが国を動かしているんだと言わんばかりの人たちと変わらない。そしてそれは大きな過ちであるということ。
知らなければ、分からなければ伝えあえばいいだけなのに。
ただの一会社員、ただの一般人そしてその多くは中身を100%理解しているとは言えない人たちが声をあげるから物事の説明責任が出てくるし、その説明に納得いかなければ追及することが出来るようになる。
そしてその説明に納得できない人が政治を動かしているなら選挙で引きずりおろせばいい。
ちょっと話はずれたけど、個人が様々な発信をすることでいろんな人にいい意味で責任が出てくるし、物事をより良い方向に進められると思う。
中身を100%知らないから発言してはいけないは
愚考だ。
どんどん発信したほうがいい。
ブログを始めるようになって
僕自身にはまだ何の発信力もないのだけど、やっぱりブログを始めるといろいろなところに効果が出てくる。
まずは発信を継続するということの楽しさ。
僕は主に好きなガジェットとかをメインに発信するんだけど、こんな記事でも読んでくれる人は少なからずいる。つまりは誰かが読んでくれてその人の一情報になりうるのだ。
もちろんその情報が良い悪いは読者が選択することなのだけど、一情報として届くことには変わりない。そしてその記事を読んでもらえるということはなんとなく楽しいものだ。
次に発言・発信に責任を持つということ。
僕は普段決して口がいい方ではないので、しかもかなりストレートな物言いをすることもあるので、言葉遣い発言にはすごく注意しているつもり。
発言する人・発信する人は自分の思うままにアクションしていいと思うのだけど、マナー(誰かを攻撃するとか、誹謗中傷するとかはマジで愚行)をしっかり守って、アクションすること。
これはブログを始めてから、誰かと話すときにもすごく意識するようになった。
最後はなーなーに一日を過ごさなくなった。
もちろん会社を経営しているうえでなーなーに過ごしていては会社が成り立たなくなってはいくのだけど、僕が言いたいのは何気なくぼーっと過ごす時間も、ただ時間をやり過ごすのではなくていい意味でいろんな物事について考え耽るようになった。
そして記事を毎日書いていて分からないことはたくさん出てくるのでその都度調べるし、調べる情報も信頼に足るものなのかどうか、そしてその情報を得て、『自分で考えてアウトプット』するようにすると、その効果は仕事でも生きてくるようになる。
まとめ
分からないこと(100%正確な情報を知っている)は、別に正しいことでも何でもなくて、分からないからこそ声をあげる(発信する)ということはとても意義のあることだと思う。
これまでは個人単位ではあったけど、こういった形で情報を発信したり、公で自分の意見を大っぴらにすることはなかったので、発信を始めてみていろんなことが見えてくるようになった。
何でもかんでも発信するというのはおろかかもしれないけど、少なくとも一ミリでも興味を持ったことを発信するという行為は世の中を良いものにするために、とても美しい行為だと思う。
そしてこれからも発信していきたいし、みんなも発信していこう。
コメントを残す