今日は『世の中いろんな革新的なプロダクトが次から次に出るけど、もう王道のこれさえあればいいんだ!』っていうお話。
*本投稿はサッカーにまつわる表現が入るため、一部の人には理解できない内容が入っています
友人とのひょんな会話
最近カメラが欲しいなと思っていて、いろんなところから情報を集めている。
もちろんYouTubeだったり、ブログだったり、ツイッターだったり。
でもね、スマホとか電化製品とかカメラとか、全般そうなんだけど、毎回辿り着くのはこんな境地、
『あと数か月まちゃーもっといいの出るんじゃね?』
『今買うとちょっと損した気分になるんじゃね?』
『買ったとたんに新作発表されたし、終わぽ』
そう、新しいプロダクトが次から次へ出ていくのはいいのだけど、ほんとそれに振り回されてる自分が実に滑稽。
今日いつものようにパソコンの前に座ってカメラの情報収集してる時に、たまたまカメラとかに詳しい友人から別件でメッセージが来たので、ついでにカメラのことをいろいろ聞いてみた。
そんで彼の言っていることもまさにそうだった、
『カメラは次から次に新しくていいものが出てくるから、最新のものを買ってもすぐ数か月後には別の更にいいのが出てくるから腹が立つんだよね』
と。
ごもっとも。
そんな彼が一言、
『パラメヒコみたいなカメラが欲しいんだよ、俺は』
。。。
はっ?
。。。
そしてその3秒後、僕は理解した。
続けざま
『パラメヒコとかマルニー的なプロダクトが欲しいんだよ俺はさ!』
。。。
『はっ?』
。。。
そしてまたその3秒後、いや今度は2秒後、僕は理解した。
自分に本当に必要なプロダクト
僕が現在メイン機として使っているSAMSUNG NOTE 10 PLUSも、発売は2019年8月(海外)で、まだ一年たたないにも関わらず、次の後継機の話題で持ち切り。
NOTE 10 PLUSを買うときも、さんざん彼に相談した。
何時間も迷って、スゲー考えて結局買わなかったり、でも最終的には買ってみたり。
その時の僕の迷いや、苦しみ、そんな思いなんてSAMSUNGさんは聞いてくれるわけもなく、無慈悲に次の後継機を発表してくるのだ。
さらにグレードアップしたプロダクトを。
僕らはこの波にのまれていて、それに惑わされていて、本当に必要なプロダクトの本質を見ていない。
見ているのは表面的な『見栄』や『優越感』『ドヤ』、そして『興味本位』という一時的な感情だ。
僕らが本当に必要としているのは、最先端の技術を駆使したプロダクトでもなければ、近未来的な機能でもないのだ。
本当に必要なのは
『パラメヒコなのだ』
。。。
はっ?
。。。
本当に必要なのは、
時代が過ぎても常に必要とされるもので、最低限でありながら上質なもの。
無駄なものが一切なくそれさえあれば何の不自由もなく過ごせるものなのだ。
一般レベルでのスマホの話で言えば、通話が出来、インターネットが出来、ある程度カメラがきれいに取れればそれで本来は満足するはずだ。
TOYOTAのカローラがあればそれでいいのだ。レクサスなんかいらない。
iPhone 11がもうあればiPhone12なんていらないのだ。
僕がカメラを選ぶとき
散々書いてきたが、僕もやっぱり最新のものがいいものなんだという錯覚から見ているものは各社の最新製品。
まだ踊らされているのだ。
でもひとつ彼との会話で学んだことがある。
自分が知らない領域のことはそのプロに聞け。
これだ。
少なくとも自分より知識・経験を持っている人から聞くと自分に合っているものを提案してくれる。
だから僕は彼からいろいろアドバイスを求めながら、僕に本当に必要なカメラを決めたいと思う。
そう、僕にとっての
パラメヒコを求めて
。。。
はっ?
。。。
パラメヒコとは
散々、『パラメヒコ』を引っ張ってきたが、サッカーをしている人でこの名前を知らない人はいないだろう。
パラメヒコ
それは
時代を超えて、すべてのサッカー人に愛されるサッカーシューズで、必要最低限の機能を基にすべての無駄な要素を削り取った史上最高のサッカーシューズなのだ。
僕らに必要なものはパラメヒコであって、ティエンポでもマーキュリアルでも、プレデターでもないのだ。
冒頭の彼の言葉
熱っぽく発した彼の
『パラメヒコみたいなカメラが欲しいんだよ、俺は』
もう
はっ?
とはならないのである。
パラメヒコ=必要最低限であって、最上のものでありそれ以上は要らない
今一度僕らにとって必要なものはなにか冷静に考えてみよう。
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